全ての差別の止揚と克服を

公正な社会を望んでいます

ヤクザの人権について

映画『ヤクザと憲法』の公開や週刊誌の記事によって「ヤクザの人権」について言及が増えている。

例によってまとめサイトなどでは、「人権がないのは当たり前」だの「それを承知でヤクザになったのだろう」という蔑視的なコメントが羅列されるが、実に幼稚で見苦しいものだ。

そもそも一般に言う人権とは基本的人権の事であり、人間であれば誰もが根源的に有していて、決して奪われたり制限されたりしない権利の事である。たとえ彼が指定暴力団の成員であって、いわゆるヤクザと呼ばれていても、決して制限されてはならないのが人権なのだ。

現在は全ての都道府県に暴力団排除条例が制定され、対象者への利益供与が禁止されている。さすがに電気水道ガスと病院だけは例外らしいが、暴力団員であることを隠さなければ銀行口座を作る事も住居を借りる事もできない。また後になって暴力団員であることが判明すればその契約を解除できるとされており、常に不安な立場で生活しなければいけない。

暴力団員である事は、法の下の平等から外れているという事であり、明らかな被差別者となっている。特に排除条例は近年になって制定されたものであり、既に暴力団員だった者にとっては不遡及の原則から考えればいささか問題があるのではないだろうか。嫌なら辞めればいいと言う人も多いが、刺青や指の欠損などがあれば一般市民として仕事を得る事がかなり困難だろう。

それを自業自得と言って嘲笑する者は、いつか自分もそうやって差別される身に置かれるとは想像しないのだろう。例えば政府の国家主義がどんどん先鋭化すれば、障害者や老人の人権が制限される日もありえないとは思えない。あるいは国際結婚した人が、国粋主義的な政府によって差別を受ける日も来るかもしれない。

そういう暗い時代が来ないように、憲法と人権を守らなければいけないのだ。たとえヤクザであっても、人権が蔑ろにされているのを見過ごしてはいけない。