全ての差別の止揚と克服を

公正な社会を望んでいます

テロの時代の功利主義哲学

今世紀初頭は、テロによって世界が捉えられる時代になってしまった。テロに先立っては大国による小国への軍事侵攻があり、それ以前には小国内での民族紛争と弱者への犯罪がある。

小さな憎しみは繰り返すうちに雪だるまのように大きくなり、気がつけば誰もそれを止められず、誰も正しくない殺し合いが始まっている。 「テロリストとは交渉しない、断固としてテロと闘う」などと政治家は勇ましく宣言するが、テロはたった一人の決意さえあればいつどこにでも現れるもので、本当に私たちが戦わなければいけないのは、自分と社会の内にある憎しみと非寛容と、他者への恐怖そのものなのだ。

テロが起きないようにするためには、この世界から憎しみを無くさなければいけない。それが無理なら、憎しみを少しでも減らす事をしなければいけない。つまり許容や寛容や、友愛や理解が憎しみを癒しテロを防ぐのだ。

功利主義哲学は、幸福の総量を想定し倫理の規範とした。現代社会では不幸や憎しみの総量を想定し、それを減じる事が倫理的であるとの新しい倫理を作らなければいけない。私と私たちの行為はこの世界に憎しみを増やさないだろうか。それだけを問うて日々を生きていくべきなのだ。