全ての差別の止揚と克服を

公正な社会を望んでいます

世界と自分の境界はひとつしかない

人間は一人で産まれて一人で死ぬ。
双子で産まれようが大量虐殺で何千人と一緒に殺されようが、感覚や認知は結局共有できないものだ。
だから孤独に耐える覚悟と諦観が必要なのだ。
人間存在の孤独を無視する者は、おそらく浅薄な世界に生き、浅薄な存在として死んでいく。厳しい言い方をすれば本当に理性的な存在にはなりきれないだろう。

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私達は他者を発見し、他者との関係性を利用して自我の境界を定め、世界を認識する。
自分と自分でないものを、自分でない人間の存在感を頼りに探り当てる。
自分という存在の小ささと無力さを自覚して後に、やっと本来の人間らしい活動が可能になる。

我々は高度に発展し複雑化した社会に生きる事を強いられている。
不自由や不愉快も多いが、その社会がもたらす安全の担保や快適さとバランスして、ほとんどの人は社会の内側で生きる事を選ぶ。
しかし今日のような非生物的な社会人には、相当な時間を自分自身と向き合う事に費やす必要が出てくる。
目覚めればありとあらゆる方向から情報が押し寄せ、刺激が襲ってくる。
だからこそ社会の外にいる時の自分自身というものを、時間と手間を使って発見しなければいけない。
それは理性的に存在するために、今日不可欠な行為である。