全ての差別の止揚と克服を

公正な社会を望んでいます

差別が闇サイト殺人事件の萌芽だったのか

いわゆる「闇サイト殺人事件」または「愛知女性拉致殺害事件」と呼ばれる強盗殺人、死体遺棄事件で死刑判決を受けた男の死刑が執行された。
この事件は被告の陳述など公判記録が、死刑となった被告本人の意思によって公開されていた時期があり、現時点でも一部をウェブ上で読む事ができた。

まず死刑制度の是非については、国家と国民による殺人であり、残虐な刑罰を禁じた憲法違反であり、廃止される事が望ましいと思う。
しかし、ただ金のために急拵えで強盗団を作り、計画の杜撰さ故に被害者を殺害するに至った3人の犯人については、遺族が何十万筆も署名を集めて求めたように、極刑が適当であるようにも感じる。(被害者が一人であるので量刑の公平性から死刑判決が危ぶまれたが、今回執行された一人には死刑判決が、残りの二人には無期懲役の判決が下っている)

被害者の女性は事件当時31歳。物心付く前に父親を病で亡くし、母子家庭に育った。母に家を買ってあげたいと、数百万円の貯金をしていたが、運悪く犯人の標的となり首を締められ、ハンマーで何十回と殴られ命を落とした。趣味の囲碁で知り合った恋人と、付き合い始めてまだ1ヶ月だった。
被害者は包丁を突きつけられ、脅されながらもキャッシュカードの暗証番号を教えなかった。正確にはわざと間違った番号を教えたために、犯人らは彼女の数百万円の預金を奪う事ができなかった。
被害者が犯人に教えた嘘の番号は「2960」であり、これは「にくむわ(憎むわ)」の意味だろうと被害者の母親と恋人が語っている。同じような語呂合わせをよくしていたから間違いないだろうと。被害者は母親に家を買ってやるための資金を奪われる事が許せず、またどこかで自分は助からないと悟り、遺族や社会に犯人への処罰を求め「憎む」というメッセージを遺したのだろうと言われている。

一方で死刑が執行された犯人は、兄弟とは別れて離婚した父と二人で暮らしたり叔母や祖父母の家に預けられたりと複雑な家庭に育ったようだ。父子家庭であったり、祖母がアイヌであったりした事で学校でイジメに遭い、相談した教師や民生委員などからまともに取り合ってもらえなかった経験によって、次第に社会全体に敵意を育んでいった。これらは父親らの証言と食い違う部分もあるので、おそらくは減刑を目論んだ犯人の脚色もあるだろうが、社会からの疎外が遵法意識であるとか社会道徳を欠落させる大きな要因になったのだろう。また20代で群発性頭痛という難病を発症し、当初は保険適用もされず、公的な補助もなく病の苦痛と経済的負担、そして社会からの無関心という苦境に立たされ、困っているのに何もしてくれない社会への復讐心からやがて犯罪によって金を得る事を、半ば業務的に行うようになったと考えられる。

犯罪は逮捕や服役のリスクを考えれば決して割にあわない仕事である。泥棒や詐欺師など、職業的に違法行為を行う者を、ただ短絡的で失うもののないからだという印象を持っていた。今回の犯人もその印象から大きく外れるものではないが、彼が供述の中で何度か社会に対する復讐という意味の事を言っていて、彼にとっての犯罪は金を得る仕事であると同時に、自分を見捨てた社会に対する復讐でもあったのだと感じた。仮に彼の供述を全て信じれば、彼がもっと社会的に成長する機会はいくつもあったと思う。どこかで誰かが親身になって彼を助けたり励ましたりしてやっていれば、犯罪以外の方法で社会と関わり生きていけたのではと想像する。

愛する娘や恋人を殺された遺族が、殺人犯の死刑を求める事には共感する。しかし殺人犯が殺人を犯すに至るまでには、社会全体の不寛容や差別、不親切、拒絶、無理解など犯人にとって恨んで当たり前のような仕打ちを受けている場合が多いのではないだろうか。

おそらく死刑は殺人など重大犯罪の抑止力にはならない。多くの殺人は理性の及ばない状況で行われている。死刑を存続する、裁判員裁判で死刑判決を出す、死刑を執行する、そういう事で新たな殺人が予防できると私には信じられない。
この事件で殺された被害者と死刑になった加害者、二人の命から何か学ぶならば、社会を憎む人間を一人でも減らす事が犯罪を減らすという事だ。
それは差別を無くす事であり、弱者へ適切な援助をする事であり、困っている人に手を差し伸べる事である。
見知らぬ誰かに助けてもらった人は、見知らぬ誰かを襲って金を奪おうという発想にはならないのではないか。そう信じて今より少しでもましな社会を私達で作らなければ。