全ての差別の止揚と克服を

公正な社会を望んでいます

公衆浴場における差別

そもそも差別とは何だろうか

一言で言えば「恣意的な分別によって対象の個人または集団に不利益を強要する行為」という事になるだろう。

比較的軽い*1差別の例として、刺青やタトゥーをしている人が公共浴場の利用を断られるケースがある。刺青やタトゥーを帯びている人を分別する事が恣意的か否かが見解の別れるところだろう。

暴力団員を分別して公共施設から締め出す事は、当事者を除けばほとんど異論を聞かない。これは現代の日本において社会的に許容される、あるいは要求される分別であり恣意的なものではないと社会通念ができていると言えるだろう。

問題となるのは刺青をタトゥーと呼び、ファッション目的で施術した人々だ。彼らを暴力団員と同じく公共施設から排除する根拠は薄弱に思える。しかしファッション目的のタトゥーと暴力団・反社会的勢力に所属するイニシエーションである刺青とを正確に峻別するのは実務上無理がある。暴力団員からファッションだと抗弁された場合には、論理的には施設管理者が対象者と暴力団との関係を明らかにしなければいけなくなるので無理と言っていい。そうすると一見して峻別が容易な線を選び、全てのタトゥーと刺青を帯びている人を排除する仕組みにするしかなくなる。

これは広義の差別ではあると思うが、暴力団員の排除が望ましいとされる社会においては実務上の理由で許容される範囲に収まるのだろう。

この差別はどのように止揚されるべきであろうか。

暴力や欺罔を用いて他者から財産を奪う事を常としている集団を暴力団と定義するならば、彼らを排除する事は社会にとって有益であり望ましい事のように思える。しかしそれが差別を通じて、社会的暴力で打ちのめして排除しようとする事については疑問を呈したい。たとえ望ましい社会のためであっても、差別や暴力という安易な手段を肯定してはいけない。

私は刺青を帯びた人が公衆浴場を利用する事が受け入れられる社会を望む。そのためには、刺青を帯びた当事者が、出来る限り周囲に威圧感を与えぬように、周囲の利用者と融和していく努力が求められる。
過渡的には明らかに暴力団員に見える人を排除する時期があるだろうが、ぜひ自助努力と施設側の自主緩和によってこの比較的軽い差別を克服して頂きたい。

*1:社会的許容度の高い