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全ての差別の止揚と克服を

公正な社会を望んでいます

シャルリーエブド事件についてフランス人から聞いた話

私にとってシャルリーエブド事件は非常に衝撃的であり、それを受けたフランス人及び欧米人の反応はやや理解に苦しむ部分があった。
たまたま友人に翻訳会社を経営するフランス人がいたので、捕まえて話を聞いた。
以下は彼の話を要約したものである。

フランス人は自由な社会に生きているが、道や型を知らずに放埓になってしまっている。だからこそ意識的か無意識的か、フランスには柔道人口が日本の3倍もいる。雪だるまを偶像とみなし作ることを禁じたイスラム学者がいたが、イスラム教の極端さと狭量さの例は枚挙に暇がない。全てのムスリム原理主義者ではないが、イスラムは元々原理主義的なものだ。フランスにおいて、あるいはフランス以外の国においても、移民のイスラム教徒は新しい国に溶け込まず、自分達のコミュニティに引きこもる傾向がある。そしてイスラム教国で暮らしていた時の抑圧や同調圧力から解放され、集合住宅の屋上で羊を屠るような、歪なムスリムになる場合がある。これは日本人でもあることで、パリに住む日本人の一部はフランス的ではないし、日本人的でもない不思議で変な存在になっている。フランス人は個人主義であり、他者の価値観を尊重する。そして価値観をあえて衝突させることで、ソフィスティケートされると信じている。それが行き過ぎると今回のような悲劇につながる事を、フランス人は学び今後のより良い社会に活かさないといけない。

その後日本人がイスラム国の人質として身代金を要求された後殺害され、シャルリー事件について語られる事が少なくなってしまった。
しかし、より深く考えなければいけないのは、日本人人質事件よりもシャルリー事件についてではないかと私は思う。
この事件を通じて始めて「涜神権」という権利を知った。ヨーロッパ人にとって教会から自由になるために必要な戦いがあり、その象徴なのだろう。その権利を守ろうとする彼らの立場は共感できるものだ。しかし、その涜神権を傘に異教徒や移民を差別していたとすれば、今回のような結末も自業自得と感じる。たとえ意図的でなくても、異教の預言者を冒涜する事と、異教徒や移民に対する差別意識が繋がっていたとすれば、それはムスリムの怒りの方が正当だろう。
私はシャルリー誌を直接手に取っていないし、これまでの論調も知らないので本当のところは分からないが、他山の石として私達の社会を見直さなければいけない。
特に他者について語る時に、その主張が自分の中の差別意識と、本当に決別できているかを検分しなければいけない。曽野綾子氏のようにならないためにも。