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全ての差別の止揚と克服を

公正な社会を望んでいます

ホームセンターで売っている包丁について

今日近所のホームセンターに買い物に行った時の事。キッチン用品を探していると、包丁を陳列してるコーナーがありました。それは当然と言えば当然なんですが、最近まで無造作だった陳列がやや慎重に変わっていました。フックから勝手に取って持ち歩けないように鎖がかけられて鍵が付いていました。またプラスチックのパッケージも「手では開きません」と注意書きがしてある程度にしっかりとしてありました。

 

以前と比較して厳重になったのは認めるとしても、そのすぐ下の段にはキッチン鋏がほぼむき出しの状態で吊ってありました。つまりまずキッチン鋏を手に取って、上の包丁のパッケージを開ければホームセンターの店内でむき出しの包丁をも手に入れる事ができるんだなという状況でした。

 

そこで思ったのは、包丁の取り扱いに慎重になることで、包丁が凶器になり、強盗などの有用な道具になり得る事を主張してしまってるのではないかという事。結局フックに鎖を付けても、「よし、今から強盗しよう」と思い立ってしまった人に対して何の抑止にもならないばかりか、「そういえば包丁を使えば強盗できるな」と思い付かせてしまう逆効果さえあるのではと感じました。

 

先日グアムで通り魔事件が起き、自然と秋葉原の通り魔事件が想起されました。秋葉原事件の後に事件の再発を防ぐという目的で防犯カメラが増設されたりボランティアパトロールが始まったりしたようですが、それらは何の役にも立たないだろうと今も思います。いわゆる通り魔事件を起こす人というのは社会的に不遇な立場に置かれ、復讐や破滅を望んで暴挙に出るのでしょう。彼らがひとたび「思い立って」しまったら、それを防ぐ事なんて不可能だと僕は思います。小学校に進入して凶刃を振るった人もいましたが、刑事罰を恐れずむしろ望むような人間に法律は無力です。暴力を覚悟している人間と対峙するには、同じ覚悟で暴力を用いなければ負けるし最悪殺されます。

 

社会にとっては、人を巻き込んで破滅しようとするような人間を産まないように、彼等の居場所のようなものを用意しなければいけないのでしょう。個人にとっては、万が一の場合に暴力と対峙する覚悟と、身近な人が破滅を望まないように彼と関わる努力が求められるでしょう。